☆・・2006年5月、肺がん(肺せん癌)のステージⅣと診断されたNONの元気な闘病日記・・☆
もう治る事はない・・・そう言われた “がん” とは、仲の良いお友達になりました。
そして・・・今は “がん” と一緒に、毎日を楽しんでいます。
※これまでの治療のまとめ(治療方法・スケジュール・金額など)※
=色が変わっている文字をクリックすると、記事にジャンプします=
1st:タキソール(パクリタキセル)+パラプラチン(カルボプラチン)
(全Ⅵクール 2006年6月14日~12月5日)
2nd:イレッサ(ゲフィチニブ)
(2007年4月25日~2008年11月20日)
3rd:タルセバ
(2008年11月21日~2009年1月20日)
4th:タキソテール(ドセタキセル)
(全Ⅶクール 2009年2月5日~2009年7月22日)
5th:イレッサローテーション(2nd)
(2009年8月22日~2010年3月6日)
6th:アリムタ+シスプラチン(ブリプラチン)
(全Ⅱクール 2010年3月21日~2010年4月24日)
7th:カルセド
(全XVIクール 2010年5月27日~2011年7月23日)
8th:イレッサローテーション(3rd)
(2011年8月13日~2011年11月30日)
9th:トポテシン(イリノテカン)
(全Ⅵクール 2011年12月7日~2012年5月31日)
10Th:TS-1+パラプラチン(カルボプラチン)
(全Ⅳクール 2012年7月4日~9月25日)
11Th:ジェムザール+ナベルビン
(全Ⅵクール 2012年11月1日~2013年2月14日)
12Th:タキソール+パラプラチン+アバスチン
(全Ⅳクール 2013年3月22日~6月13日)
13Th:治験薬
(2013年8月28日~2014年6月24日:サイクル15)
14Th:ジオトリフ
(2014年7月18日~2014年10月21日)
15Th:タキソテール(ドセタキセル)(2nd)
(全Ⅱクール 2014年11月6日~2014年11月27日)
16Th:アブラキサン+パラプラチン(カルボプラチン)
(2014年12月26日~)
転移性脳腫瘍の手術
(2006年5月31日)
ガンマナイフ
(2006年8月2日)
ラジオサージャリー
(2009年2月17日&2009年7月8日)
ガンマナイフパーフェクション
(2009年11月30日&2010年4月19日& 2011年11月28日
&2012年7月2日&2013年2月18日)
全脳照射
(全14回照射予定 2015年1月6日~)
その他、病歴などについては、左サイドバーにまとめてありますので
ご覧になりたい方は、クリックして下さい。
元気のない人には私のPowerを~☆
そして時には私にも皆さんのPowerを分けて下さいね。
★ぜひ足跡残して行って下さいね★
ランキング参加ちう
にほんブログ村 ←毎日クリックよろしくね
ブログ記事は ↓↓ にあります
肺がん・告知 [告知]
こんにちは NONです。
昨日ネイルを変えました。
今回もカルジェルです。かなりゴージャスなアートにしちゃいました。
それで何処行くの~? と聞かれましても・・・
はい、病院とコジマ電気です
昨日、闘病記をサボってしまったので、一昨日の続きです。
夕べの隣のベッドの人のおもらしの件があり・・・
かなりの寝不足&不機嫌に朝を迎えました。
この人と向かいのベッドの人は、昨日からそうなのですが、食事の度にその内容の文句ばかり。
私は人の作ってくれたご飯は、結構おいしく食べれるのに・・・
聞きたくなくても、いやでも耳に入ってしまう。
それも同じ事を何度も。
まあ、他に話す事も無いからしょうがないのかも知れないけど、寝不足と食欲減退のダブルパンチ(泣)でした。
さて、今日の検査はPETです。これでガンがどこにあるか、はっきりするんだな。
そして、夕方・・・もともとIクリニックの先生に紹介された、H助教授に呼ばれお部屋に。
(H先生は、スゴーク若く&超まじめそうです)
そこには、さっきのPETの画面が。
肺の一箇所が、白く光ってる!
私は椅子に座るなり 「あっ、これだ!」 と思わず言ってしまいました。
H先生も 「分かりますか?」 って・・・そりゃー誰が見てもわかりますよ。
そして、つぶやくように思わず自分で告知。
「肺からの転移かぁ・・」
H先生は、悲しい顔でうなずくだけ。
「やばいですよね・・・」 と私。
H先生は、またもやうなずくだけ。
「どうしましょう・・・?」 と私。
「脳腫瘍の一つは大きすぎて、もう手術でしか取れません。
もう一つは様子を見て、後にガンマナイフで取りましょう。」
「肺は?」 と私。
「頭の方が先です。ほっておくと運動障害など出てきますから。
早い方が良いので、今月の31日に手術しましょう。」
って事は・・・
なんだぁ、私ってまだ大丈夫なんだ。
すぐに死んじゃう訳じゃないんだぁ。良かった~。
最悪の結果には違いないけど、もっと最悪な事を考えていた私は
その時まだ残された時間はある!というだけで喜んでいました。
涙も出ないし、いたって平常心。
ガン家系の私には、回りにいっぱいガン患者がいた。
いやでもガンがどういうものか知っていた。
だからなのかこんな告知(自己告知?)もあるんです。
だからって、私が精神的におかしいとか、人間が出来ているとかじゃ無くて
恐ろしく客観的に自分の事を見ていた。
って言う感じかな?
でも・・・今考えると、心を守る精一杯の自己防衛だったのかも?
残る問題は私の母親にどう話すか・・・
20年以上前にがんで父を亡くし、母子二人の家族。今は別々に暮らしているが
母は私の事となると精神的にとても弱くなる。(何処の家庭でもそうだろうけど)
幸運(?)な事に母は今、私の入院も知らずに台湾に旅行中。
帰って来るまでに考えなくっちゃ・・
って、その事ばかり気にしてました。
5月26日の事でした。
☆nice! &コメント☆ (クリックすると過去のものが開きます♪)